その日までの覚え書き

with肺がん、脳腫瘍闘病中の日々

私の覚えてる高度経済成長期 1

昭和30年度(1955年度)から昭和47年度(1972年度)あたりまで、一般的に高度成長期と言われます。

私が育った頃が、ちょうど被っているので、拙い記憶をまとめてみます。

あくまで、育った頃です。受け身です。

自分の周りにあった、記憶の中の風景です。

今まで、こんな大昔のこと、思い出すこともなかったです。これも、脳の癌の症状のひとつ、なのかな。とは言っても、今の所、頭はしっかりしてるようです。むしろ覚醒気味です。

けど、急に来るから、この病気。

 

【ダッコちゃん人形】

たしかにうちにもあった。流行ってるもの好きだった父が買ってきたんだと思います。申し訳ないけど、子ども心には可愛いとは思えなくて、むしろちょっと恐くて、置いてあっただけの気がする。

 

【洗濯関係、井戸、トイレ】

伊勢湾台風で全壊してしまった家から、当時の瑞穂区、大喜の家に引っ越して住んでいたそうだけれど、小学生社会「昔のくらし」のまさに再現って感じの家が並んでました。

庭に共同の井戸があって、その横に汲み取りのトイレがありました。あの場所、怖かったな。

いろんな虫がいるんですよ、それもいっぱい。しかも、「流す」訳ではないから、どうしても不潔になって、

しかも、ご想像はつくでしょうけれど、虫は、いわゆる、あんな感じのヤツ(*´Д`*)がびっしり、巨大な穴に貼りついてて。

巨大な穴?? 便器は、なかったんだろうか?

白くて太くて大きいの((((;゚Д゚)))))))

虫は嫌いじゃないけれど、あれは、何とも言えなかったです。

最初は、洗濯機もなくて、大人たちが井戸のまわりに座りこんで、洗っていたような気がします。たぶんお手伝いもしていなかったのでしょう、虫を見ては、ぎゃあぎゃあ言ってただけで。

子どもの記憶なので、間違ってるかもしれません。洗濯という清潔を求める場所に、普通ウジ虫なんている訳ないし。曖昧な記憶で、申し訳ありません。

汲み取りのトイレも怖かった。確か青い車が来て、汚物を吸い込んでた。チューブも臭いも、何とも言えないものだった。

台風の後は、あのいわゆるDDT撒いてて、「毒だから近づくな」って言われてた気がします。

自分の周りの光景は、朝と夜で、どんどん変わって、その頃は、それが当たり前だと思っていたけれど。

 

改めて書くと、自分って、すごい時代にいたんだな、と思います。高度経済成長期って、何度も書きますが、本当に、登校時と下校時の景色が違っていました。

 

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福井県大野市九頭竜ダム

今ダムにとても惹かれるのも、自分が育った原風景にあったからかもしれないです。とは言っても、自分は、その恩恵を都会で受けていただけだけれど。