その日までの覚え書き

with肺がん、脳腫瘍闘病中の日々

高校生くらいまでの自分 2

町は毎日変わりました。

毎日工事やってて、道路もどんどん舗装されていきました。アスファルトとかロードローラーなどの言葉が、すごく一般的でした。タイルもいっぱい落ちてて、綺麗なのが落ちてると、すぐ拾ってました。

お寺(大喜寺)に行く道の途中にあった底なし沼もなくなりました。ジュズダマがたくさんあった、怖いけど大好きな沼でしたが。

お寺には、カタツムリとかセミとかいっぱいいたので、学校帰りはついつい寄り道して、怒られました。野良犬も多くて、小学生なりに命救いをしてたつもりですが、次々に野良犬とりに回収されました。見たら死んでた子犬もいました。ハチとアカは、今も名前を覚えてます。

 

小学校1年生の時の給食は、なんと脱脂粉乳が出てました。その後、普通の牛乳になりましたが。

とにかく寄り道が多い小学生でした。ヤマハなどに遅れるって、迎えに来られたりしました。

6年生途中までは、名古屋市瑞穂区に住んでいましたが、牛巻商店街は、日に日に賑やかになり、大好きでした。七夕祭りもあって、絵を描くイベントに参加したりしました。

田光神社のお祭りも楽しみで、催される踊りを一日中見てました。母には、もっと早く帰るように、言われてた記憶もありますが。

毎日、強制的な習い事は別として、遊びまわってました。わざと変な道を開拓したり、楽しかったです。

1年生の時から6年生の時までで、町の雰囲気は一気に変わりました。

1年生頃、大喜の道路を巨大なヘビが横断してたこともあります。急速な変化で、田光神社のヘビが移動したのかもしれません。 

ちなみに1年生の時、東京オリンピックがあり、東海道新幹線ができました。

6年の時、雁道に引越しましたが、最後まで瑞穂小学校に通いました。高度経済成長期、真っ只中。通学途中に出会う、可愛らしいスバル360が大好きでした。

 

現在の牛巻商店街にて

2022.5.28

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