その日までの覚え書き

with肺がん、脳腫瘍闘病中の日々

高校生くらいまでの自分 1

もうどうせあと長くないから、歳を隠す必要もないかと。

1957年(昭和32年)12月19日生まれです。

昨日は、広島の原爆の日でしたが、1945年から僅か12年後に、この日本に生を受けました。

‥‥今まで、あまり考えたことない視点です。 

現在の岸田首相と同じ歳です。戦争のことなど、ほとんど考えたこともなく、自分の中では、違う時代という認識しかありません。

赤ちゃんの時に、伊勢湾台風があり、新築した家が全壊して、名古屋市瑞穂区大喜町に引越したらしいです。そこで小さい頃を過ごしました。

 

庭にぬいぐるみとか人形を持っていって、座り込み、ままごとするのが好きでした。

ままごとのご飯を作るのに、お隣の砂を削りすぎて、家が倒れるとよく怒られました。

草で、ご飯もいっぱい作りました。

妹も、よく付き合ってくれました。

 

母は、いわゆる教育ママだったと思います。当時最先端だった、すずらん幼児園に通わされました。

あくまで受け身。

小さいのに、年長との行事に参加させられたり、次々に理科の自由研究みたいなのに、取り組まされて、結構キツかったです。

先生にはヒイキされてたかもしれないけど、友達はほとんどいなかった気がします。

ある日、幼稚園から脱走して、すごく怒られました。幼稚園に帰ったら、ふろふき豆腐の給食がありました。家に帰ったら、祖母に押入れに閉じ込められて怖かったのは、覚えてます。

その頃から、通園バスで通うなんて、最先端だったんだろうな。

でも私は、幼児園、大嫌いだったので、いい思い出はありません。

お習字、絵画、ヤマハ、作文など、色々習わされました。

ソロバンが一番嫌いでした。

あ〜、初めてこんなに思い出しました。

疲れるので、まず、ここまでで。

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熱田神宮です。去年。